
17歳で歌手としてデビュー。何度も芸名を変え、陸軍の軍属として全国の軍需工場を行脚するなど下積み生活が続いたが、戦後「悲しき竹笛」「山小舎(ごや)の灯」のヒットで流行歌手に。
昭和23年に、古賀政男が作曲した「湯の町エレジー」で一世を風靡、歌手として不動の地位を築いた。「別れの磯千鳥」などのヒット曲でも親しまれ、300種類を超すレコードを出している。また、映画監督としても活躍。自らも主演した。
昭和51年に歌手を引退した後も映画会社の役員をするかたわら、テレビの歌番組の司会をつとめるなど、茶の間の人気を得た。
1992年肝不全のため死去。